最低賃金の改定に小売業はどう備えるか|8月に決める3つの打ち手
8月に入ると、最低賃金の改定に関する報道が増えてきます。
小売の現場では、これが「10月からの人件費」として、決算にそのまま効いてきます。
パート・アルバイトの比率が高い店舗ほど、影響は大きくなります。
ただ、改定額が正式に決まってから動き始めると、価格改定の告知もシフトの組み替えも間に合いません。
8月のうちに決めておくべきことは、実はそれほど多くありません。
この記事では、影響額の試算のしかたと、価格と生産性の両面で吸収するための具体的な手順を、中小の小売業の規模に合わせて整理します。
この記事の要点
最低賃金とは、使用者が労働者に支払わなければならない賃金の下限額として、国が法律で定めたもののことです。都道府県ごとに金額が決まっており、パート・アルバイトを含むすべての労働者に適用されます。
- 最低賃金の改定で本当に効くのは、時給が下限にいる人だけでなく、その上の層まで連鎖して上がる分です。
- 影響額の試算は、直近1か月のシフト表と時給一覧があれば1時間で終わります。まずここから始めてください。
- 値上げは「原価が上がったから」ではなく「何を維持するためか」を伝えたときに、離反が小さくなります。
- 省人化はレジ前と発注の2か所に絞ると、投資額を抑えたまま人時を削れます。
最低賃金の改定はいつ決まり、いつから効くのか

まずスケジュールを押さえます。
ここを誤解していると、準備の順番を間違えます。
例年の流れは次のとおりです。
- 7月下旬から8月上旬にかけて、国の審議会が改定額の「目安」を示す
- そのあと各都道府県の審議会が、地域ごとの金額を答申する
- 多くの地域で10月に発効する
つまり、8月は「金額が固まりきる前だが、おおよその方向は見えている」時期にあたります。
準備を始めるにはちょうどよいタイミングです。
ここで注意したいのが、影響を受けるのは時給が下限に張り付いている人だけではないという点です。
下限が上がると、そのすぐ上で働いている人との差が縮みます。
差が縮んだままだと、経験の長いスタッフから不満が出ます。
結果として、下限より上の層も引き上げざるを得なくなります。
これを賃金の連鎖といいます。
試算のときに下限の人だけを見ていると、実際の負担を大きく見誤ります。
少なくとも下限から100円程度上の層までを、影響範囲として見ておいてください。
なお、地域ごとの正確な金額と発効日は、必ず都道府県労働局の公表資料で確認してください。
報道の見出しだけで判断すると、発効日を1か月読み違えることがあります。
改定額が正式に決まるのを待つ必要はありません。
目安が示された時点で、影響額の試算と打ち手の検討は始められます。
正式決定を待ってから動くと、価格改定の告知期間もシフトの組み替えも足りなくなります。
まず自社の「影響額」を1時間で試算する

打ち手を考える前に、金額を出します。
感覚で「けっこう厳しい」と言っている限り、社内の合意は取れません。
用意するものは2つだけです。
直近1か月のシフト表と、スタッフ別の時給一覧です。
手順は次のとおりです。
- スタッフを時給順に並べ、下限から100円上までの人を抜き出す
- その人たちの1か月の総労働時間を合計する
- 想定の引き上げ額を掛ける(例:50円なら、総労働時間 × 50円)
- そこに社会保険料の事業主負担分を上乗せする
最後の一手間を忘れないでください。
賃金が上がると、社会保険料の会社負担も連動して増えます。
時給の増分だけで計算すると、実際の負担を1割以上小さく見積もることになります。
出てきた月額を12倍すれば、年間の影響額になります。
ここまで出せば、話の解像度が変わります。
「年間で〇〇万円の増加。
これを価格で吸収するなら客単価を何円上げる必要があるか、生産性で吸収するなら月に何時間削る必要があるか」という形で、選択肢を並べられるようになります。
この試算は、店長やパート責任者と一緒にやることをおすすめします。
数字を自分で作った人は、そのあとの改善に当事者として関わってくれます。
もうひとつ、社内向けの伝え方も準備しておいてください。
スタッフは「上がる」ことしか知らされないと、なぜ一部の人だけ上がるのかを疑問に思います。
下限の引き上げに合わせて全体のバランスを調整しているという説明を、店長から先に伝えられる状態にしておくと、余計な不満が出ません。
価格で吸収する|値上げを納得してもらう伝え方

価格改定は、最も直接的な吸収手段です。
ただ、伝え方を間違えると客数を落とします。
現場でよく起きる失敗は、「原材料と人件費の高騰により」とだけ書いた紙をレジ横に貼るというものです。
理由としては正しいのですが、これはお客様にとって「こちらの都合」の説明でしかありません。
伝え方の軸を、「何を守るために上げるのか」に変えてください。
- 品質を落とさないため(量目を減らす選択をしなかった)
- 営業時間や人員体制を維持するため
- 定番商品を切らさないため
このように書くと、値上げが「維持のための判断」として伝わります。
実務上のポイントも整理します。
- 全品一律ではなく、値ごろ感の基準になっている商品は据え置く。お客様は全商品の価格を覚えているわけではなく、いくつかの目玉商品で「高い・安い」を判断しています
- 端数の設計を見直す。198円を218円にするより、198円を維持して内容量やセット構成を変えるほうが受け入れられる場合があります
- 告知は改定の2〜3週間前から。当日に知らせると、不意打ちの印象が強く残ります
値上げの成否は、上げ幅よりも「どの商品を、どう説明して上げたか」で決まります。
改定後は、客数と客単価を分けて追いかけてください。
売上が横ばいでも、客数が減って単価が上がっているなら、値上げが効いている一方で来店頻度が落ちているということです。
この2つを分けて見ていないと、次の判断ができません。
生産性で吸収する|レジ前と発注の2か所から手をつける

価格だけで吸収しきれない分は、人時を減らして埋めます。
ただし、全店舗・全業務を見直そうとすると、たいてい途中で止まります。
最初に手をつける場所は2か所に絞ってください。
レジ前と発注です。
この2つを選ぶ理由は、時間が読みやすく、効果が数字に出やすいからです。
レジ前でやることは次のとおりです。
- ピーク時間帯の待ち人数を3日間記録する(時刻と人数だけでよい)
- セルフレジやセミセルフの導入効果を、その記録に対して試算する
- キャッシュレス比率を上げ、現金の締め作業時間を削る
発注でやることは次のとおりです。
- 発注にかかっている時間を、担当者に1週間記録してもらう
- 定番商品を自動発注に寄せ、判断が必要な商品だけ人が見る形にする
- 発注の精度が低い商品を洗い出し、廃棄ロスと欠品の両面から見直す
どちらも、いきなり全店ではなく1店舗で試すことが大切です。
1店舗で人時の削減量が確認できてから、横展開してください。
注意点もあります。
省人化でシフトを削ると、残ったスタッフの負担が増えることがあります。
削った人時のうち、いくらかは接客や売場づくりに戻す前提で設計してください。
人を減らすためではなく、同じ人数でできることを増やすための投資と位置づけたほうが、現場は動きます。
初期費用は助成金・補助金で抑える

セルフレジや発注システムの導入には、初期費用がかかります。
ここで動きが止まる中小企業は少なくありません。
賃上げと設備投資には、国や自治体の支援制度が用意されている場合があります。
代表的な考え方は次の2つです。
- 賃上げそのものを支援する制度(事業場内の最低賃金を引き上げ、あわせて設備投資などを行った場合に費用の一部が助成される類のもの)
- 設備投資やIT導入を支援する制度(生産性向上を目的とした機器やソフトウェアの導入費用の一部が補助される類のもの)
ただし、これらの制度は要件も金額も毎年変わります。
申請枠には締切があり、後から遡って申請できないものがほとんどです。
実務で押さえておくべきポイントを挙げます。
- 発注・契約の前に申請が必要な制度が多い。先に設備を買ってしまうと対象外になります
- 賃金台帳や就業規則の整備が要件に含まれることがある
- 申請から交付決定までに時間がかかるため、10月の発効に間に合わせるなら8月中の着手が現実的
最新の公募要領を必ず確認したうえで、自社が対象になるかを見極めてください。
判断に迷う場合は、社会保険労務士や支援機関に早めに相談するのが確実です。
制度を使えるかどうかで、同じ投資でも実質の負担が大きく変わります。
打ち手を決める前に、使える制度があるかを一度調べておいてください。
制度は国のものだけではありません。
市区町村や都道府県が独自に用意している支援制度もあります。
地域の商工会議所や商工会に問い合わせると、国の制度と併用できるものを教えてもらえる場合があります。
よくある質問
Q. 最低賃金の改定はいつから適用されますか?
多くの地域で10月に発効します。
例年、7月下旬から8月上旬に国の審議会が目安を示し、その後に各都道府県が地域ごとの金額を決める流れです。
発効日は地域によって異なることがあるため、都道府県労働局の公表資料で必ず確認してください。
Q. パートやアルバイトも最低賃金の対象になりますか?
対象になります。
雇用形態にかかわらず、その事業場で働くすべての労働者に適用されます。
学生アルバイトや短時間勤務の方も同様です。
日給制や月給制の場合も、時間あたりに換算した額が下限を下回っていないかを確認する必要があります。
Q. 影響額はどうやって計算すればいいですか?
直近1か月のシフト表と時給一覧があれば試算できます。
時給が下限から100円上までのスタッフを抜き出し、その総労働時間に想定引き上げ額を掛けてください。
社会保険料の事業主負担分の増加を上乗せするのを忘れないでください。
これを外すと1割以上小さく見積もることになります。
Q. 値上げでお客様が離れるのが不安です
全品一律ではなく、値ごろ感の基準になっている定番商品は据え置くのが現実的です。
お客様は全商品の価格を記憶しているわけではなく、いくつかの目玉商品で高い・安いを判断しています。
あわせて「何を維持するための改定か」を告知に書くと、受け止め方が変わります。
Q. 省人化の投資に使える支援制度はありますか?
賃上げと設備投資を支援する制度が用意されている場合があります。
ただし要件も金額も毎年変わり、発注・契約の前に申請が必要な制度が多い点に注意が必要です。
先に設備を購入すると対象外になることがあるため、最新の公募要領を確認してから動いてください。
小売業が8月中に取り組めること
- 直近1か月のシフト表と時給一覧を用意し、影響額を年額で試算する
- 時給が下限から100円上までのスタッフを一覧にし、賃金の連鎖範囲を把握する
- 値ごろ感の基準になっている定番商品を5つ選び、据え置き対象として決めておく
- ピーク時間帯のレジ待ち人数を3日間記録し、省人化の効果を試算する材料にする
- 使える助成金・補助金があるか、設備を発注する前に確認する
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この記事を書いた人
吉田 光広 / 代表取締役CEO ストラテジーデザイン株式会社
1997年からITの最前線に立ち、ゲーム開発を経てWeb・システム開発の会社経営を20年以上継続。 現在はAIコンサルタントとして上場企業への講師登壇や高校生向けAI教育を担当し、 ITプロ育成スクール「PROCLASS」代表も兼務。中小企業のAI・DX導入を現場で支援している。
著書:泥臭いAI ― リアルビジネスをAIでハックする/AIを雇う技術 ― 100人の天才を部下にする仕事術/AI×教育の実践ガイド ― 問いを立てる力を育てる